メモ。
怒涛の1週間を終え、昼過ぎに起き、自らの不自由さと未熟さに隠しようのない迷走感を抱えながら、ふと自分がこの前山に登ったときのFBを見ると、こうあった。
山路やまみちを登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
ー夏目漱石『草枕』
なぜか心にちくりと刺さって、夏目漱石という人物が共感してくれる気がして、彼について調べてみると、『私の個人主義』というタイトルにくっと目を引かれました。大正3年の学習院大学における学生向けの講演資料のようです。
読んでいるうちに涙が止まらなくて、ぐっすんぐっすん泣いてしまいました。
100年以上時代を越えて、こんな世の中になっているのに、これほどまでに共感できるのか、とまた1つ普遍的な真理を思ったのですが、とにかく心打たれたところをメモがてら。
私はそんなあやふやな態度で世の中へ出てとうとう教師になったというより教師にされてしまったのです。幸に語学の方は怪しいにせよ、どうかこうかお茶を濁して行かれるから、その日その日はまあ無事に済んでいましたが、腹の中は常に空虚でした。空虚ならいっそ思い切りがよかったかも知れませんが、何だか不愉快な煮え切らない漠然たるものが、至る所に潜んでいるようで堪まらないのです。しかも一方では自分の職業としている教師というものに少しの興味ももち得ないのです。教育者であるという素因の私に欠乏している事は始めから知っていましたが、ただ教場で英語を教える事がすでに面倒なのだから仕方がありません。私は始終中腰で隙があったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び移れないのです。
イギリスで英文学を学んでから。共感というより興味深くて勉強になる。
その本場の批評家のいうところと私の考と矛盾してはどうも普通の場合気が引ける事になる。そこでこうした矛盾がはたしてどこから出るかという事を考えなければならなくなる。風俗、人情、習慣、溯っては国民の性格皆この矛盾の原因になっているに相違ない。それを、普通の学者は単に文学と科学とを混同して、甲の国民に気に入るものはきっと乙の国民の賞讃を得るにきまっている、そうした必然性が含まれていると誤認してかかる。そこが間違っていると云わなければならない。たといこの矛盾を融和する事が不可能にしても、それを説明する事はできるはずだ。そうして単にその説明だけでも日本の文壇には一道の光明を投げ与える事ができる。――こう私はその時始めて悟ったのでした。はなはだ遅まきの話で慚愧の至でありますけれども、事実だから偽らないところを申し上げるのです。
私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるというより新らしく建設するために、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的の思索に耽り出したのであります。
これは、学習院大学での講義なので、学生に向けて。
私のようにどこか突き抜けたくっても突き抜ける訳にも行かず、何か掴みたくっても薬缶頭を掴むようにつるつるして焦燥れったくなったりする人が多分あるだろうと思うのです。もしあなたがたのうちですでに自力で切り開いた道を持っている方は例外であり、また他の後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んで行く人も悪いとはけっして申しませんが、(自己に安心と自信がしっかり附随しているならば、)しかしもしそうでないとしたならば、どうしても、一つ自分の鶴嘴で掘り当てるところまで進んで行かなくってはいけないでしょう。いけないというのは、もし掘りあてる事ができなかったなら、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです。
(・・・)
もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。
なんていうのかな、漱石のいう『私のようにどこか突き抜けたくっても突き抜ける訳にも行かず、何か掴つかみたくっても薬缶頭やかんあたまを掴むようにつるつるして焦燥じれったくなったりする人』っていうのは、言い方が違えどまさに私の事で、明らかな負もない一方で、自分とは違う人の意見や評価にも耳を傾け、納得しないまでも我慢という蓋をせねばならず、客観的に正しいことと自分との相違に色んな意味で大人にならなければならない、かといって、他に100%やりたいことが見つかっているわけではない、このくぐもっと心と正面から向き合って、漱石をはじめ共感を得て、涙が止まらないのでした。
言葉で簡単に言うのも惜しいけれど、個性を強く持って、深く傾倒すべきところを掘り続け、苦しくてもその必要から逃げてはいけない、というのと、漱石にもこんな一面があったのか、と知った、というメモでした。
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