マレーシアMamaにみる、コミュニティの形。

MammaではなくMama。マレーシアで見つけた1つのコミュニティの形について、少しばかりそこはかとなく書き綴ります。

知り合いのMarzuqiという子の家庭訪問をさせて頂いた際、Mamaという場の話を聞きました。
Mamaとは、インド系ムスリムが運営する24時間営業のレストランで、朝は朝ごはん、昼はランチ、夜はディナーの食事店であり、夜はバーのような使われ方をします。

彼らにとっては なくてはならないもの 、 人々のコミュニティの寄り合いであり、心の拠り所 であるといいます。

Marzuqiは私の1つ下の大学4年生で、学校の後、夜、友達とHang outする憩いの場として週に5日は来ているそうです。

ふと、 地域のコミュニティを包容力で以て支えるこうした場所ってユニバーサルなのかな 、と思ったりしました。

仕事や学校終わりにふらっと寄って、そこに行くと誰かしらいて、友達でも顔見知りでも知らない人でも会話を楽しむ。
誰が来ても良いし、どんな時に来ても良い。
飾らないし気合を入れて行くわけでもなく、日常に溶け込んでいる場所。

こういう場所って、きっとどこにでもあるんじゃないかな。なぜなら、人はこういう場所が必要だから。

例えば、イタリアのバールであり、日本の居酒屋であり、多分わたしが知らない土地にも、文化を知れば見えてくる、こうした日常の憩いの場所があると思ったりします。

面白いなと思うのは、こうした場所は、 街のあらゆる所にありふれているようで、実は唯一無二である こと。それぞれがユニークな個性を持っています。

例えば、イタリアのバールは、オーナーの強烈な個性が輝いています。

エスプレッソの味やミルクの温度だけが違いではない。一見普通に見えるバールでも、壁の装飾や、常連さんの感じや、カップのデザインや、一緒においてあるコルネット、、その1つ1つに個性が垣間見れます。

日本の居酒屋も同じ。このMamaもそう。同じようなMamaは沢山あるけど、同じものは1つもない。

それぞれの地域コミュニティがこの場所の個性を育てるのですね。
そして私達は知らない所でどこか心の拠り所としてこの場所に支えられているのです。 イソギンチャクとカクレクマノミのような。

思えば、Cookpadのコミュニティもそうですね。
レシピ投稿者とユーザーはまさに、イソギンチャクとカクレクマノミ。

Cook(Viewer)はAuthorのレシピによって助けられ、毎日の料理が楽しくなっている。一方で、そのイソギンチャクもカクレクマノミのCooksnapだったりCommentだったりを栄養にして、また大きくなって良いレシピを投稿してくれるようになる。

そして、そのプラットフォームであるCookpadも、生態系の源であり、人々が出会う場所であり、同時に、そうした人々によって唯一無二のものになる。

マレーシアのコミュニティは色んな人の努力で掘られた池に、なんとか水を注ぎ始めました。汚い池が広がっても仕方がない。

色んな色のカクレクマノミとイソギンチャクが輝ける、社会に素敵な意味を持てる池を、作りたい。

そういう意味で、コミュニティというのは、永遠にChicken&Eggでありつつ、その土と土を掘り起こす人の魂が形作るものなのかな。

 

豊かな生活とか幸せな人生ってなんでしょうね。そしてそこに貢献するってどういう事なのでしょうね。

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