ふと考えた全体解と個人解の仮説。みなさん、幸せになりましょうね!

以下、先日参加したあるキャンプで、温泉に浸かって月を見上げながらふと思った事です。

とある仮説。

人は社会に貢献すべく生まれている。

なぜならば。

地球上のすべてのものは、存在するからには存在意義がある。

今、頭上に輝く月も、暗い道を照らす事で夜間の移動を助けている。

同じようにあらゆるモノはそこに存在する意義がある。

人間は。

人が他の動植物と1つだけ違うのは、発達した脳みそを持つ故、行動を意図的に選択する幅が大きい事。その選択の余地が大きいゆえに、社会に正のインパクトも結果的に負となるインパクトを与えうる。

しかしながら、長い地球の進化の過程で残されてきた以上、全体にとって有益だったと半ば証明されている。

つまり、人は、基本的には全体に正のインパクトを与えるように作られているのではないか。

もっというと、ということは、選択能力のある人は、社会的に良いものを残す事に関して快感を感じる’ようになっている’のではないか。
子孫を残せるように性行為において快感を感じるようになっているのと同様に、生まれてきた事で社会に何かしらの正の遺産を残す事に快感を感じるようになっているのではないか。

これが仮説。究極の性善説ですね。

じゃあ世の中に悪い人はいないのではないか、となるが、そうもいかないのです。

そこで、もう一つのポイント。全体解と個人解。

全体にとっての最適解(種としての生存)と、個人の最適解(個の選好)は必ずしも同じではないのです。

DNAに刻まれたものが個体ごとに異なる事で生まれる多様性は、種の生存率を上げるための適合ですが、これによって生まれた個体差により、好みや強みが異なってきます。

ゆえに、全体にとっては不であるものを、個人として選好する事がある。これがいわゆるルールやぶりや、人同士が殺し合う戦争になる。

 

でも、一番最初の仮説に戻ると、種として刷り込まれたDNAとしては、生まれてきた事で何らかの正の遺産を残す事に快感をおぼえるはずなのである。

だから、このロジックでいくと、人は、この全体解と個別解を満たした時に、最も幸せになれる。

つまり、社会がハッピーになって、かつ、自分もハッピーになる、という事。あれ、どっかで見たことがある気がしてきた。

 

この両立は一生忘れずに追求しなくてはならない。’追求’というからには、妥協したり自分や他人を誤魔化してはいけない。

例えば、「〇〇で困っている人を助けて人の幸せに貢献したいです!」というもの。

私はすごく崇高なミッションだと思うし、こういう風に社会が変わったら良いな、と心から思うし、それを想像するとワクワクする。

でも、「それで自分は幸せなのか」、を意図せず見失う事がある。

自分はそれやって楽しいのかな?なぜ?どんなところが?

と正直に自分に問いかけてみたい。自分を楽しませる事を忘れないでいたい。好きな事やるからには、辛い事も面倒な事もやらなくてはならないけれどもね。

社会の課題なんて探そうと思ったらいくらでもある。

でも、その中でなんでそれを私が大事な時間と能力を使ってやらなくてはいけないのか。
「なに言ってるの、私が楽しいからだよ!」と思えないと、義務感でやってるなら片手落ちですよね。言葉や行動にも説得力がない。

だから、社会が必要としているもの、自分が好きなもの、この2つを両方満たせるように生きれる事が最適解という結論になります。

(本当は、この2つに「自分が得意である事」というのが入るかもしれないが、まぁ個人的には、それは後天的にカバー出来る事も多いと思います。)

タオルミーナのギリシャ劇場からの眺め。この海を背景に劇場を造った古代人の美意識と我々の美意識の相違って不思議ですよね。

 

で、私自身はどうかというと、うーん、まだまだですね。

例えば、今働いているクックパッドは、食という人の幸せに直結するフィールドで、サービスを通じて日本中の何百万何千万の人の幸せに貢献していて、その価値は1ミリも疑いようがありません。

一方で、自分としても毎日美味しいものに囲まれて食のコミュニティに向き合えて、食が大好きだから、ここで挑戦する課題はこれ以上ないくらい楽しいな、と思います。

しかし、いくつか注釈があります。

まず、クックパッドが社会をハッピーにしている事は疑わないけど、そこに自分は貢献してますか、となると、はてな。まだまだ頑張らねば。

それから、自分のハッピーは。

これは、入社後いろいろ見えてくる中で、何度も考える機会があったし、自分自身もアップデートがあって過去と今は違うから沢山考えます。

1つ会社に入ってすぐに直面したのが、全体解と個人解の問題でした。

学生の頃は、やりたいことは自分の勇気と努力次第で実現できたし、自分の仮説は自分でPDCA回せばよかったし、むしろそのクレイジーさが両手を上げてプラスだった。

ところが、組織の中ではそうはいかない。組織としての最適解と個人の最適解は必ずしも一致しないからです。私は、頭では理解できるこの事で自分自身を納得させる事にすごく苦しみました。

こうなった時に、全体解を満たす意味で会社の事業の中で好きな事を見つけるか、いち早く自分の好きな事を形にして成果につなげるか、となります。で、現状の私はどちらも100%満たすようにはなっていないな、と思うから、まだまだ。

別に同時に満たす必要はないのかもだけど、個人解と全体解、両方満たすのは本当に難しいですね。おまけに、私はすごく感情的でロマンで動くタイプだから大変w(上司の方にはお世話になっております。本当に尊敬。)

 

で、なにが言いたかったかというと、人は全体解と個人解を満たした時に一番ハッピーになるように遺伝子の深い所では組み込まれているはずだ、という仮説です。

社会貢献ありきで自分の好きな事を見失っては片手落ちで説得力がないし、かと言って自分の目先の得ばっかりを考えても幸せになれるようには出来てない。

 

なんだ、さっきは世紀の発見のように思ったけど、結論は割と当たり前の事ですね;;

けど、これが太古からの遺産としてDNAに刻まれている、と考えると、勇気づけられる気がします。

皆さん、幸せになりましょうね!

ナポリからVesuvio火山をのぞむ。ポンペイはこの火山の存在により太古を残している。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です