クックパッドの洗礼!?大料理週間を終えて

こんにちは!18新卒の中小路葵です^^
モットーは「やらない後悔よりやった後悔。迷ったら前へ」です。

実は先週1週間、海外事業部総出で毎日ひたすら料理をするという謎の(クレイジーな)プロジェクトがありました。

朝9時から夜8時くらいまで毎日約10時間、作る品数は全部で250品。

ご想像の通り、人生でこんなに料理をしたのははじめて。

揚げ物の恐怖に死ぬ思いも「足がでくのぼうになる」思いもしましたが、
料理の腕前の圧倒的成長と料理の楽しさのツボに気づくとともに、
炒めながら新しいビジネスが思い浮かんだり、煮込み時間に妄想じみた未来予想をしたので、
今日はその成長過程や気付きを共有してみます。

そんな私達のキッチンダイジェスト

まず、言い訳をしておくと、私達は、料理部ではなくて、海外事業部なのです!
数々のドラマが生まれました。

はじめての揚げ物

人生はじめての揚げ物に、緊張と恐怖でフライパンから3歩引く私。

結果は、カリッと揚がり大満足、自信も急上昇。

しかし、、、
流しに油を捨ててしまい、
じゅごーーーーーーー
(きゃーーーーーーーー)

水と油の科学現象を、この身をもって体験したのでした。

感動的に美味しかった酢豚からの学びは「手間をかけると美味しい」

ズッキーニのトラウマ

「ズッキーニの味噌チーズ焼き」というおしゃれな料理を完成させたAyumiさん。

みんな立ち寄って試食すると、、、

うわっっっっ!!しょーーーーーっぱい!!

塩と砂糖を間違えていたようでした。

以後、ズッキーニのレシピが出てくるたびに、あゆみさんをちら見してしまうのでした。

フライパンで”簡単”キッシュ

トマトの赤とブリッコーリーの緑が黄色い卵に映え、意気揚々と撮影コーナーに運ぶ私。

K隊長「あれ、真ん中の白い玉はなに?」

一同のぞきこむ。

私「んーと、小麦粉がうまく溶けなかったのでしょうか!(何か問題でも、、、?)」

(その場に、これは失敗という雰囲気が流れる)

K隊長「うん、やり直しだね」

うっそーーーー!!

皆さん「いや、だめでしょ!笑」

本人は信じられない様子。

K隊長は、ぽんと私の肩をたたくのでした。

皆さんは必死に「あおいちゃん将来大物になるから」と励ますのでした。

白い粉、発見?味は美味しかったらしいです。

卵のTipping point

半熟煮玉子に着手した私。

茹で上がり、卵の殻をむこうと思ったら、、、白身がどくどくと溢れてきた。

半熟ではなく、未熟なのでした。(卵も私もね)

しかし、私は自らの失敗を織り込み済み。
念の為、2つ茹でていたので、もう1つをすぐに茹で直します。

今度は、、、
剥けない!!!

ちびっ、ちびっと殻が割れて、全然剥けない。
「えーー世の中のゆでたまごって、こんなに大変な作業をしてるの!?」

半泣きの辛抱を重ねていたその時!

つるっとむけはじめたーーーーーー!

歓喜で隣にいたOwenさんに「たまごがTipping Pointoをむかえました!!!!」

続いて「膜がMavenでした!!」と報告。

すると、Owenさん「膜はコネクターでしょ!」

そ、そうかもしれないです!w

なにはともあれ、たまごって殻の下に膜があって、あれをうまく味方につけるとツルッとむけるんですね。

(ちなみに、「Tipping Point」とは海外事業部のキーワードで、簡単に言うと、初期コミュニティ構築の成長カーブのメカニズムを言います。
詳しくは私達の必読書のこの本。)

奇跡の半熟たまご

「足が」の枕詞は

20時頃、そろそ片付けも終わりかけ、Owenさん。
「じゃあそろそろ。帰って休まないと、 足がでくのぼうになっちゃうよ

・・・(一同、空白の3秒)

「んーなんか日本語違くないですか!?」

大爆笑。

さすが海外事業部、料理をすると、日本語もおかしくなってきてしまうのでした。

私はこの日、夜中にお風呂に入りながら思い出して、笑いが止まりませんでした。

ちなみに、これ以後、誰かが「足が」というと皆が「でくのぼう」と言って思い出し笑い。枕詞となったのでした。

そして、Ayumiさんは、ついぞ4日めにはマッサージに通ったのでした。

 

という笑いあり涙ありのキッチンでしたが、課題解決が好きな人達の集まりなので、炎のオペレーション改善で、1週間で250品と、当初、到底不可能に見えた壁を見事に乗り越えました。

このプロジェクトの今後に乞うご期待です@@

料理って楽しい

前置きが長くなりましたが。

料理の楽しさに目覚めた1週間でありました。

なぜ、料理が楽しいか?

私が料理が楽しいと思ったのは、言語化すると以下の4点が大きいと思います。

・主体性

材料からお料理になる過程は、絶対的に主体的で能動的な行為なのですね。
100%自分を媒介させているのです。

だから、この手で作った感が半端なくて、その喜びに楽しいと感じるのかな、と思います。

・意外性

料理って意外性に富んでますよね。

材料を切って調味料を加えて混ぜて熱を加えると、あれ、なんでこんなふうになるんだろう!

そもそも、料理自体、未知数の意外性を持っています。

それから、「え、私がこんな料理を作れちゃうの!」っていう意外性。

この驚きは大きくて、「こんな私も東大女子」というメディアをやっていたのですが、卒業した今、色んな人の料理小話をリレーする 「こんな私も料理人」っていうメディアを立ち上げようかと思ったほどです。

自分で(家庭で)あんなこんな料理を作れる意外性も、また料理の楽しさであります。

・創造性

クックパッドのレシピを250品作って思ったのは、 作者さんって天才的に創造的だということです。

フライパンで簡単パンとか、豆腐の甘辛揚げとか、どうやったらこんな美味しくて簡単な素敵レシピを考えつくの!
天才ですよね・・

こうやって色んなレシピを創れたらそれはもう楽しいだろうな~~~。

そして、そういうレシピのプラットフォームになっているクックパッドの価値を改めて認識しました。

・幸福性

やっぱり美味しいもの食べるって本当に幸せ。

当たり前かもしれないけれど、幸せを生むものって楽しいです。
これだけ幸福度に直結する料理って絶対に楽しいですよね!

思いつきと妄想

最後に、思いついた企画や妄想をちょこっとだけ。ご意見ご感想などぜひお聞かせ下さい。

クックパッド・レストラン「こんな私も料理人」

人気作者さん(レシピエールさん?)が日替わりで、自らの殿堂入りレシピをメニューとして提供するレストラン

<メリット>

・プロでない方の料理を食べる機会はなかなかなく、料理が身近になる → ”作り手が増える外食”という矛盾が成立

・オフラインコミュニティ

・コアな投稿者の投稿モチベーションの持続、向上

・その日の料理人がSNSなどで集客し、プロモーションコスト低減

・クックパッドの人気レシピの有用性認知 → PS増加

<ボトルネック>

・法律:無免許の人がパブリックに料理を提供する事になってしまう?

・ビジネス性:クックパッドにしかできな飲食店だとは思うが、利益率とかスケール性などを考えると、ビジネスとしてはどうなのだろう?

ポスト資本主義における料理

朝から晩まで料理をしながらふと「なぜ人々は料理をするのか?」という単純な疑問が浮かんだのです。

”結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです。 ”

という、ゼクシィの超絶心がぎゅっとくるキャッチコピーがありましたが、

料理しなくても美味しい物が食べられるこの時代に、私はなぜ料理をするのでしょう?

原点回帰、きっと、本質的な価値に帰ってくるのだと思います。

今や、お金が強力な価値指標であった資本主義の時代は終わりかけ、”ポスト資本主義”時代に入り、ではこの時代において、お金ではなく何が基準になっていくのかというと、本質的な価値、つまり幸せなのではないかと思います。

だから、食においても、手軽さやコスパではなく、より本質的な価値を重視するようになるのではないでしょうか。
要は、結果ではなく、プロセスの重視です。

最近は、外食やら完全食やら中食が充実してきて、料理をしなくなっている、という流れもありますが、「食を楽しむ」という本質に立ち返れば、料理って大きな楽しみの要素を持っていています。

だから、料理は「主婦が食費を浮かせるためにやりくりもの」ではなく、「楽しみとしてのみんなの料理」になっていくのかなと思い、だったらクックパッドってどういう価値をどうやって発揮できるのかな、と妄想していました。

後記:目黒の秋刀魚ー夏目漱石からのヒントー

夏目漱石の『私の個人主義』という、大正3年の学習院大学における学生向けの講演資料を読んでいて、この中に、彼が落語家から聞いたという小話で、次のような話がありました。

ーー
あるお大名が二人、目黒辺へ鷹狩に行って、所々方々を馳け廻まわった末、大変空腹になり、仕方なしに二人はそこの汚ない百姓家へ馳け込んで、何でもよいから食わせろと言いました。
するとその農家の爺さんと婆さんが気の毒がって、ありあわせの秋刀魚を炙あぶって麦飯を出しました。
二人は非常に美味しく食べて、そこを出たのですが、翌日になってもどうしてもその味を忘れる事ができず、二人のうちの一人が他を招待して、秋刀魚のご馳走をする事になりました。
家来は、料理人に命じて秋刀魚の細い骨を一本一本抜き、それを味淋に漬け、ほどよく焼いて、主人と客とに出しました。
ところが食べる方はお腹も空いていなくて、また馬鹿丁寧な料理法で秋刀魚の味を失った妙な肴を箸で突っついてみたところで、ちっとも旨くないのです。
そこで二人が顔を見合せて、「どうも秋刀魚は目黒に限るね」といったような変な言葉を発したと云うのが話の落でした。

ーー

これは、学習院という立派な学校で立派な先生に始終接している学生が、漱石の講演を聞きに来たというのは、ちょうど大牢の美味に飽いた大名が、目黒の秋刀魚がちょっと味わってみたくなったようなものだ、として漱石が出した話ですが、

私は目黒の秋刀魚の話は”美味しい”の本質をついていると思いました。こういう事ってありますよね。

つまり、美味しいって比べるのが難しくて、今回、料理をする中で自分たちで作ったものを自分たちで食べながら思ったのは、L’Effervescenceのフレンチもうしごろのシャトーブリアンも美味しいけれど、私たちが作った料理も客観的に文句なしに美味しいのです。

だから、彼氏と弟どっちが好き?と聞かれて困るように、ル・スプートニクもママの料理もどっちも美味しいよ〜〜〜ということです。

 

前置きと後置きが非常に長くなってしまいましたが、
一番言いたかったのは、大料理週間、最高に楽しかった!ということです。

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