わたしのあの頃~等身大の「この星に生まれて」~

ゴールデンウィーク後半は、実家に帰り、素晴らしく良い天気を、有効活用していると言えばしているし、していないと言えばしていないような時間を過ごしました。つまり、まあのんびりしていたわけです。

家に帰って早々、何を思ったか、何光年かぶりにピアノを開きました。

たぶん最後に弾いたのがこの曲だったのでしょうね、譜面台にたてかけられた「この星に生まれて」の伴奏曲を、譜面を一生懸命追いながら、記憶を探りながら、要は所々つっかえながら、弾き始めました。

すると、溢れるように当時の記憶がよみがえる。懐かしい人たちの顔や声が、これでもかというくらい鮮明に。当時の心情と、においまで一緒に。

1つだけ違うのは、目の前に広がる鍵盤に臆する事がないこと。緊張を感じずに、自由に思うまま弾けること。

今回は、そんな懐かしい日々を少しだけ、文字にしてみようと思います。

まず弾いてみた「この星に生まれて」。その後小1時間も飽きる事なく弾き続けたこの曲は、私が一番思い入れのある曲です。

これは、小学6年生の時、私が初めて音楽会で伴奏をした曲で、当時のオーディションに絡む尋常ではない緊張感と、嬉しさを越えた安心感と、変わった自分に対する驚きと、何とも言えない誇りは、今もはっきりと心に残っています。

 

私は、ずっとピアノが大嫌いで、いや、お世辞じゃなくて本当に嫌いでした。

想像に難くないと思いますけれど、私は圧倒的に、ピアノよりドッヂボール派の子供だったのです。

4歳から習い始めて、毎週のように、ピアノのレッスンの行きの車で「まま、ピアノやめたい」と言っていました。母は「今やめたら弾けなくなる」の1点張りで、ちょっと大きくなると「まま、ピアノのお金もったいないよ?」と言っても、「子供はお金のことを気にしなくてよいから」と却下し続けられました。ちなみに、芸術とか疎いパパは「確かにもったいない」と言っていた気がします。笑 でも、発表会で一番熱心にビデオをとっていたのはパパですけれど。

そんなこんなで、全く練習しないから、本当にうまくならない。レッスンの30分前にちょこちょこっと弾いて、レッスンに行っては先生に練習していない事がばれて怒られて、、、

だから本当にやめたかった。だって、外でドッヂボールや鬼ごっこした方が楽しいじゃん?

 

しかし、そんな私のピアノ人生にも転機が訪れました。

それまで4歳からずっと教えてくれていたKAWAIの先生が、結婚して辞めてしまうというのです。最後は3人とも涙のお別れでした。

そこで、小学6年生の私は、そのままやめるかどうかという時に、当時好きだった(小学生でいう両想い)テツのお母さん(哲ママ)がピアノの先生をしていたので、どこからともなく挙がった哲ママ案にすかさず飛び乗り、哲ママのもとでピアノを続ける事になったのです。

そしたら!!!めっちゃくちゃ上手くなった。。!!

いいかっこしいの私は、もうそれはそれはすごい勢いで練習したのですね。笑

哲ママに良い所を見せたい(そしてその名声が哲にも届くことを想定して)、その一心で、単調な指の練習曲ハノンだって真面目に練習して、毎回のレッスンに臨みました。入って練習する間もないくらいすぐに発表会があって、それにはもちろんテツも来るから、非常な緊張感の中、完璧に仕上げました。

そしたら、すっごい上手くなった。笑

で、結構ピアノって楽しいね、となってきたのです。

 

そんな私のピアノのもう1つの転機が、小学校6年生の時の「この星に生まれて」です。

哲ママはかなりアンビシャスな人で、疑いもなく「葵ちゃん音楽会で伴奏やるでしょ」って言われて、私は上述のようにピアノに関しては本当に全く自信なくて伴奏なんて私とは縁のない世界だと思ってたから、ぽかんとしたのですが、なんか彼女のすごい勢いにほとんど流される形で伴奏者に立候補してしまったのです。

で、確か3人くらいでオーディションになりました。

この時の心情を、何と言ったら伝わりましょう。

子供ながらオーディションというものが本当にプレッシャーで、その事を考えるだけでもドキドキするくらい、オーディションまで1か月くらいずーっと緊張していました。

競争っていうものに慣れていなかったのか、ピアノ伴奏なんて自分が背伸びしている事を自覚していたのか、選ばれなくてショックを受けたくないって思いなのか、とにかく怖かった

 

そして、今でも忘れもしない、オーディションの日。

放課後、音楽の先生と担任の先生と私たちで音楽室に行き、順番を決めて弾きました。「私が最初に弾く」と言って、最初に弾いたのを覚えています。

もちろん緊張もしたけれど、ある種悟りのような落ち着きもあって、先生に教えられた通りに、ほとんどミスなく弾けました。

他の候補者が誰だったか、その後経験したオーディションに関しては全部覚えてるのだけれど、なぜかこの時のだけ思い出せなくて、それくらい自分との戦いだったのか、他の1人か2人の演奏を終えて、その時にはほぼ確信していたけれど、結果発表で、先生が、「一番目に弾いた人」と告げてくれました。

私が「はい!!」と手を挙げて、じわりじわりと実感がわいて、本当に涙が出るほど嬉しくて、とにかくほっとして、でもやって良かったと心から思って、色んな感情が混ざり合っていました。

 

走るように帰って、玄関でただいまを言うと同時に、「ママ、選ばれたよ!!!」って叫ぶと、母がドアから出てきて、「良かったね~」と言って抱きしめてくれて、2人で涙を流していました。

今でも記憶に鮮明にあるのですが、母は

「ママは、きっと大丈夫だと思ったけど、ママは葵ちゃんがはじめて毎日あんなに一生懸命練習しているのを見て、ああ選ばれたら良いな、と思ったけど、でも他の子がそれより上手かったらしょうがないから、がっかりしなければ良いな、と思ってたんだけど、選ばれて良かった」

と涙を浮かばせながら言っていました。

私は、母がこんな風に子供の事で感情的になるのはほとんどなくて、練習してた事に気づいているのも知らなかったくらいほとんど茶々を入れなかったくせに、気遣いの無関心に母親の愛を感じて、また別の涙を流していました。

今思うと、これは本当にうちのママらしい。思えばいつもこんな感じ。

私の大学受験の時も、国立は試験日が最後だから、その前に私立の発表があって、受かるたびに「もうママは満足だから」って言ってたのに、東大の発表で掲示板に番号を発見して葵と抱き合った瞬間、涙を流して

「葵は一生懸命頑張ってたから、努力が結果で報われたら良いな、と思ったけど、でも受験は人との競争だから、葵が全力を出したけど他の人がそれより出来たのではしょうがないと思ってたから、ちゃんと努力が結果になって良かった」と言っていました。

たぶん半分は「子供に振り回されたくない」くらい本当に思ってるのだけれど(笑)、こうしていつも適度に子供の大事から距離を置いて、プレッシャーを最小限にして遠くから応援し続けるのが、彼女のパターンだと気づいたのは、ほんの最近の事です。

 

話を戻して、このオーディションに受かった夜、父が帰ってくるなり「パパ、あおい受かったよ!」って言ったら、案の定、そんな一連の努力と緊張のドラマを知らないパパは「すげーーー!葵は本当にすごいよ。勉強も運動もできて、ピアノもできちゃうん!?」って言ってました。笑 はああ、彼らしいですね。

 

ちなみに、上記のような母に対して、深く考えず何にも分かってないのだけど、常に親ばか丸出しなのが父です。

だって、私のセンターの前日、私が「生物が~」って話してたら、「え、葵ちゃん理系だったん!?」って言って、ママに「はあ何を今さら。文系もセンターは理科受けるんだよ」ってぴしゃって言われてたし、

小学校の頃、私のフットベースチームのコーチやってて、試合観て「あーー、やっぱ葵は上手いわ」って大声でつぶやいて、ママに「ね、ほんとに恥ずかしいからやめて?」ってキレられてました。

 

そんなこんなで、さらに練習を重ねてむかえた音楽会当日は、しっかりと胸を張って弾くことが出来ました。

背伸びをして、プレッシャーに向き合って、努力が実る事を知って、少し大人になった小学6年生の秋でした。

「この星に生まれて」はそんな思い入れのある一曲です。

 

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聞きたいとのお声を頂いたのですが、10年前のビデオは古すぎて「この星に生まれて」は再生できなかったので、かわりに15歳の時の「子犬のワルツ」を貼っておきます。笑

 

 

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