ゴールデン読書ウイーク「心ゆくまでイタリアかぶれ」

昨日、引っ越してようやく落ち着いてきたので、ぶらぶらと、といっても片道4キロの道のりを自転車で、都内屈指の区立図書館に行ってきました。

この暑さの中、目黒の坂のアップダウンを繰り返したので、着く頃には、アイス食べたいの一心だったのですが、館内に入ると、図書館独特の静けさと紙の匂いに、すっと神経が研ぎ澄まされ、アイスの事なんて忘れ、手あたり次第気になる本を手に取る。

歩いているだけで物知りになったような大いなる錯覚と、無限に知らない事を教えてくれるかのような幻想に近い希望は、どんな時も不思議な、そして図書館にしかできないユニークな楽しさで私を包んでくれる。図書館は偉大な所です。

結果、

見事にイタリアに関するものばかりが私を惹きつけたので、ゴールデンウィークの課題図書、テーマは「心ゆくまでイタリアかぶれ」と致しました。

以下、面白いと思った部分を、メモがてらご紹介。

みんなイタリア語で話していた(岡本太郎)

まず読んだのがこの本。イタリア語を掘りながら、軽いタッチでイタリア人のユニークさを語っています。借りてきたその日に読破してしまいました。

心に残ったのは次の4つの話。

イタリア語の中のイタリア語「magari」

magariは「たぶん~なら良いのに」の’多分’という意味だそう。英語ではMaybeになるのでしょうけど、イメージ「Maybe!」と’!’が付いたメイビー、もっというと「Hopefully!」って感じかしら。

で、なんでこれがイタリア語っぽいかというと、

「mangari」は、理想と現実の間のとんでもないギャップをさっと見えない線で繋いでしまう力を持っていて、そこにはいつも心に太陽の輝く澄み切った理想の青空を仰ぎ見るような、プラトニックな思いが見え隠れしている

という事だそうだ。どうでしょ、めちゃくちゃイタリアっぽくないですか。私はこの言葉が使われる様子が鮮明にイメージできます。

イタリア人はああ見えて現実的な所があるので、理想と現実の距離を測れない馬鹿ではないんですね。

ではなくて、しけた気分で現実ばかり見てもしょうがないから、理想の中を生きようぜっていう、ある種の割り切りが彼らから感じられるのですけど、それをよく表してますよね、この言葉は。

「あの仕事終わった?」→「Magari」
あるいは、
「隣の女の子、君の彼女なの?」→「Magari!!」

ほら、イメージできるでしょう。理想と現実のギャップがさっと線で繋がれました。

 

瞬発的に生きる「Anzi」

これは、「あ、やっぱり○○」という意味で、バールで「カフェラテ、anzi, カプチーノ」(カフェラテ、あ、やっぱカプチーノで)という感じで使われるらしい。

で、著者は、「イタリア人は気が変わりやすい。というか、その場で瞬時に物事を判断する」と指摘します。

Me too! と相槌を打ってしまいました。

やたらと思いつきで行動する所がある私にとっても、「Anzi」という言葉は有用であるに違いない。こないだヨーロッパ&エジプトの旅で、往復航空券の帰りの航空券を捨てて帰国日を延ばしたのも、これなら「Anzi、もうちょっとこっちいますね」と言ってからっと笑えるでしょう。笑

「瞬発的に生きる」っていうのも悪くないのだと、勝手に肯定された気がしたのであります。

 

「bambinone」で良いじゃない!

’子供’って意味の「bambino」の拡大辞を付けたbambinoneは訳すと「大きな子供」であります。

この言葉は、筆者が語学学校時代、イタリア人についてどう思うか?の話題で挙がった言葉だそう。きっとその人は「子供っぽい」って事を表したかったのだけれども、筆者は、確かにと頷いて、イタリア人はbambinoneだという例に、’お調子者でロマンチックでノスタルジックなおじさん’を出している。

私は最近、「あおいちゃんの好きなタイプは?」と聞かれると「無邪気な人」と答えていたのだが、「なるほど、bambinoneだ!」と勝手に納得しました。

私は、なんか変に現実的で、地に足着いちゃってるよりも、「なーに言ってんのこの人は」ってくらい無邪気に色んな空想を話せる少年のような人の方が、数百倍心奪われるんですけど、けど、女の子のお友達には一切合意を得られていない、むしろ「え、私そういう男無理」って人の方が多いので、女子を代表する意見ではないかもしれないです、、、w

でもまあイタリア人には概してこういうbambione多い気がします。笑

しかし、本ではその後で、

イタリア人が大人だとしたら、それは、あらかじめ我々の可能性と限界をある程度見極めていて、それなら出来るだけ気持ちよくやっていこうよ、という姿勢

と指摘する。

なるほどなるほど。こう考えると、イタリアのあらゆる状況が説明できますね。経済もしかり、電車の遅延もしかり、女性を口説くのもしかり。

とりあえず、明日の飲み会で好きなタイプを聞かれたら、「bambinone」と答えよう。

 

退屈しやすいから退屈したくない「m’annoio」

「m’annoio」の意味は「つまらない」。これだけでもつまらないので、言葉のうんちくを並べると、原型は、annoiareで、再帰動詞なんでしょうね。mi+annoio(私を退屈させる)→m’annoioで、「退屈した、つまらない」。この辺りフランス語とそっくりなので、鬱陶しいけど概念としては割とすっと入ってくる。ちなみに、annoiareは英語でいうとannoyで、つまらない→イライラさせる、なのかな。おっと、うんちくの方がつまらないか。

で、本によると、

イタリア人はすぐに退屈する。退屈はイタリア人の天敵だから、始終何か面白い事を企んでいる

とあるが、自分に置き換えてみて、まさにそうなの!と言いたくなります。

ついでにいうと、以前イタリア人がいかに面白かったかのブログで書いたかもしれませんが、彼らはいちいち天才的に事を面白くするんですよ。

そしてこうも言います。

彼らは言う事も考えている事も時と共にころころ変化してゆく。たぶん一貫性がないというよりは状況に応じた柔軟性に富んでいるのだろう。ともかく自分なりに愉しく人生を奏でてゆこうとする。

なるほど。ずいぶん私の耳にも心地よい。

でも、「石の上にも三年文化」というか、3年ならまだしも、人にとって我慢は耐えがたいし、「考えが変わるのは信用ならない」みたいな風潮が強すぎるのは、非常に息苦しいと思います。

飽きるって事はあるし、新しい事を知ったりやったりすれば考えが変わる事もある。それが自分の人生をより愉しくするのだから、そんなに負い目を感じないで、次に進んで良いんだ、と背中を押された気分です。

ほんと、退屈は何よりも嫌なの。まあ、こう思ってる時点で退屈しようがないのだけど!

 

タイトル「みんなイタリア語で話していた」

ちなみに、「みんなイタリア語で話していた」というタイトルですが、ストレートに解釈すると、記憶に残ったイタリア語の単語ごとに章立てされたエッセイなので、そういう事かとも思いますが、「イタリア人の多様性」っていうテーマが色濃く反映されてるのだと思います。

イタリア人って、1人1人がめちゃくちゃ濃いパーソナリティを持ったユニークな存在なのです。で、周りに合わせるという事が一切ないから、ハチャメチャなのですよ。個人主義と言えば個人主義だし、集団は集団ではなく個人の寄せ集め。超マイペースだしね。

これは日本の逆。この協調性が美徳とされる国では、驚くほど周りを見て集団行動が得意。学校だって、新卒研修だって時間10分前にはみんな席に座っていて(私だけがギリギリまで出歩いてコーヒーを持ってギリギリに入ってくるw え、だってまだ時間あるでしょ?)、電車の中では黙って本を読むなりスマホを見るなり。だから、ブームも起きやすい(イタリアでは日本のような○○ブームってあり得ないらしいです。笑)。集団も集団として素晴らしく機能する(これは本当にすごい)。

一方で、イタリアってそれはそれは色んな人がいて、みんな超マイペースに確固たる自分を持っている。そして、それを支えるのは自他共にリスペクトする心。だから、人とのコミュニケーションをものすごく大事にするんだと思います。

例えば、電車の中だって、みんな思い思いに色んな事やってるけど、でも、向かいの席に誰かが座ったらすかさず話しかけて、次から次に色んな事聞いてきて、すごく尊重してくれる。

なんというか、彼らと話していると、全てをひっくるめて存在そのものを肯定してもらうような感覚になるんですよね。それくらい、自分と同じように他人を大事にする。だから他人に対してもあくなき好奇心があって、だからあんなにコミュニケーションを大事にするんだと思います。

こうしてマイペースな自分らしさが育まれ、文字通り十人十色な国民が生まれ、著者はそんなイタリア人たちを暗喩して「みんなイタリア語で話していた」というタイトルを付けたのではないでしょうか。

 

という1冊目でした。2冊目ももうすぐ読み終わるので、気が向いたらレビューメモしますー。

今朝ベーグル焼いてみた~♬良き休日の朝。

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