世代超え 似てると言われ 初笑い~祖父母と深イイ伊豆旅行~

この週末、おじいちゃん、おばあちゃん、私の3人で伊東へ温泉旅行に行ってきました。

祖父母と孫だけで旅行は初めてでしたが、まあ久喜に住んでて母方なので、良く会います。

私はじじばばっ子で、おじいちゃんとおばあちゃんには、とにかく特別に可愛がられて育ってきました。

このじーじとばーばが、また面白い人たちなので、ちょっと「中小路家の愉快な仲間たち」に加えておきたいくらいです。

要約すると、

おじいちゃん

昭和の堅物。私が知る中で一番難しい性格の持ち主だが、情には熱い。

「関東一の金型設計士・技術士」と言われた技術屋で、天才肌の理系。

戦時中、満州警察のトップだった父を亡くし、命がけで帰国。当時9歳。小さい時の苦労が彼をあれほど難しくしたのだとか。

孫も全員恐れおののき、祖父母宅では常に緊張が走るのだが、葵は全く別扱い。

「あのおじいちゃんが、葵ちゃんの前ではあんなに目尻がさがっちゃって」というのはいつも親戚中で話題。
確かに、いつも隣に座って大トロだの数の子だのもらっている。笑

現84歳。

おばあちゃん

ド天然

茶道の家元であり俳句もたしなむ。茶名は宗喜。78歳とは思えないほど、毎日俳句やらお茶やらで忙しい。

無口で’パソコンの将棋ソフトがお友達’と揶揄されるおじいちゃんとは真逆で、おばあちゃんは交友関係が広く、おおざっぱ。

「あのおじいちゃんの相手はおばあちゃんじゃなきゃ務まらない」は自他ともに認めるところ。

 

そんな祖父母と私で、今回、伊東温泉に行ってまいりました。

当然、おじいちゃんはこれ以上ないくらいのご機嫌で、色々面白かったのですが、特に、夜が深イイ話で、心に刻まれたので、それを記しておきます。

世界史の大大おさらい

夜、温泉から帰ってきた後、おじいちゃんと私は、焼酎を飲みつつ、トランプのニュースをきっかけに戦後史について話し出しました。

って言っても、おじいちゃんによる「アメリカエゴイズム論」が大半ですw

多分に偏ってるのであんまり耳を傾けすぎるのは良くないのですが、面白いですね、政治から見えるアメリカ像と、私の友達のアメリカ人って全然イメージが一致しないんですよ。

 

ま、それはいいとして、東アジアやアメリカの戦後情勢を中心にひとしきり話を’聞いた’後、さあて寝ますか、と言って布団に入ってからが止まらなかった。

最初、「トロイの木馬」がふと話題に上がり、私がその由来を調べたのを皮切りに、古代ギリシャから時代を下り始めた!!笑

世界史の大大おさらいですww

アレクサンドリア大王が、クレオパトラの生涯が、ノルマンディー上陸が、その間日本では、中国では金が、チンギス・ハーンが、北条氏の天皇家の扱いが、アメリカなんてまだまだ、、、、ふう、ようやく江戸。

おじいちゃんの教養は本当にすごい。あんなにバリバリの理系でありつつ、この教養は驚愕です。

そして、ついに来た!!!!日露戦争!!!!

一番盛り上がるよね、なんといっても「坂の上の雲」。

クロパトキンが、二〇三高地が、乃木希典が、伊地知が、児玉源太郎が、、、

日本海海戦が、バルチック艦隊が、あーそうそうロジェストヴェンスキー(この名前はついに思い出せずGoogle先生を頼った。そしてロジェンスキーと言っていたおじいちゃんはニアピンだったw)、東郷平八郎が、秋山真之が、、、

ここだけやけに濃いww

一通り勝って、横須賀の戦艦三笠の話になったから現代になったと思ったら、まだ続く。

なんやかんや結局太平洋戦争終結まで。

あー面白かった。布団に入ってはや2時間以上。

おじいちゃんのファミリーヒストリー

そしたら、この後なぜか、おじいちゃんの話になったんですよ。

これが、本当にファミリーヒストリーのようなドラマチックな半生だったの。

自分のおじいちゃんがこんな人生を送ってたなんて、それに比べて私の人生がいかにバラ色かと、衝撃でした。

おじいちゃんのお父さんは、満州のお偉いさん(非常に優秀で人格者だったらしい)で、それに伴って、おじいちゃんは小学校1年生の時、お母さんと母と妹と、満州に渡っていました。

だけれども、満州でそのお父さんが飛行機事故(なんかの式典でお偉いさんを乗せて上空を飛んでいた飛行機が、電柱に引っ掛かって落っこちて皆亡くなられたとか)で亡くなられて、母子で満州に残されてしまったのですね。

そこで、お母さんのお姉さんの旦那さん(大西のおじいちゃん)が、これまたものすごい人格者で、満州まで迎えに来てくれて、母子4人を連れて帰ってきたのです。おじいちゃん、当時9歳。

ところが、おじいちゃんのお母さんはその1年後に伝染病で亡くなってしまいます。

両親を立て続けに亡くし残された子供たち3人をまとめて引き取ってくれたのが、大西のおじいちゃんでした。大西のおじいちゃんには娘が1人いましたが、4人を本当の子供のようにかわいがって育てました。

おじいちゃんはこの恩を一生忘れず、同じ敷地に家を建て、最後まで恩返しをします。

18くらいになったおじいちゃんは、とにかく優秀だったみたいだけれど、ああいう性格だから遠慮して大学に行きたいとは言わず、高校を出て就職しました。

そこで務めたのが、金型工業です。

ここで技術を磨き、あらゆる苦難に耐えて、それでも社長に認められて、会社を大きくし、関東一の金型工業にしました。

時代は高度経済成長。あらゆる工業製品が必要になり、部品を作るこうした中小企業が産業を下支えしていた時代です。

おじいちゃんの会社は、その中でプラスチックの金型を作り、三種の神器や三Cの部品会社に売っていったのです。

彼はそこで、今でいうCTO的なポジションで、会社全体の事をやりつつ、技術の教育や自身も設計に携わっていました。

ところが、55歳になった時、定年を迫られ、キレて退職金ももらわずろくに退職。

その後、かねがね声がかかっていた他社に転職。

そこも体制変動かなんかで折り合わず5年後に転職。

65歳で定年を迎えるまで、現場に出て、最後まで技術屋としての仕事をしていたそうです。

最後におじいちゃんがまとめに入って言うには、

人生はそういう事ですよ。長いという事ですよ。20年30年だったら良いとこだけ生きる事も出来るかもしれないんだけど、80年となるとそうはいかない

と。

私は、この壮絶なファミリーヒストリーに、すごく衝撃を受けました。自分ははあまりにぬるくてぬるぬるの世界を生きてるんですね。

だからといって、こんな大変な人生を生きたい、もっと苦労しなきゃとはあんまり思わない所が私の小物さですが、今の恵まれた環境、言うなれば絶対的に違うスタートラインを、最終的に社会の幸せに繋げられるような生き方がしたいな、と思うのです。

 

さあて、今度こそ寝ましょうね

、、、という、今度はおじいちゃんのファミリーヒストリーを下ってきました。

布団に入って3時間半経過。

さあて、今度こそ寝よう。

トイレ行って帰ってくると、
おじいちゃん「でーもさ、スペインは300人の軍隊で征服してったっていうのだからね、、、」

あああ、また世界史の話に戻ったーーーーーー!笑

私もだんだん眠くなってきて、「スペインは日の沈まない国でしたからね」とかなんとか相槌を打ちつつ、どうしようか、と逡巡しはじめた。

そしたら、おばあちゃんが
「なんか面白いよねーーーーー」
と突然声を出した!!!!!

え、え、起きてたの~!?

「起きてたわよ。アメリカの話も秋山真之の話もおじいちゃんの金型の話も聞いてたわよ」

最初からずーっと黙ってたからとっくに寝てたんだと思ってた。笑

おばあちゃん「変な家族よね~こんな歴史ばっかり話して。しかも孫と!あはは笑」

たしかに~~

ばーば「さてさて、寝るわ」

やっぱ、良いキャラだわ~~~

おじいちゃんは、普段あまりに無口で特に自分の事なんてあんまり語らないのに、風呂上がりに飲んだ焼酎が原因か、止まらずに語っていた夜でした。

旅の句をば

そんな私たち3人ですが、熱海では(ほとんど咲いていない)桜を見たり、梅園に行ったり、文豪たちの別邸「起雲閣」に行ったりしました。

私は美味しいものを食べすぎ、じーじばーばは歩きすぎ、心も体も心地よい疲れとともに帰ってまいりました。

旅の句を以下。

世代超え 似てると言われ 初笑い

お年玉 奮うカモメに 鳩サブレー

 

新春の 寿司のうまさに 孫涙

 

寒空に 祖父母で暖取る 梅見かな

 

枯山に 映える夫婦と 赤い橋

 

熱い湯に 浸かりて見上ぐ 冬銀河

 

 

表六句を庵の柱にかけ置き

 

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