ポスト資本主義における「幸せを運ぶお金の流れ」<卒論・序論④>

序論

1. はじめに「森を外から眺めること」
2. バリから6年。途上国開発のアップデート
3. テクノロジーの時代に生きて
4. ポスト資本主義「幸せを運ぶお金の流れ」

さて、ここまで、なぜ途上国開発なのか、なぜテクノロジーなのかを述べてまいりました。
ここでは最後に「テクノロジーが途上国開発にどのような影響を与えるか?」というテーマの中で、なぜ、Fintechなのか?テクノロジーの中でも金融にフォーカスした理由を記したいと思います。

(※正直に言うと、ジャクリーン(途上国の社会起業家への融資を行うAcumen FundのCEO)とシヴァニ(テクノロジー×マイクロファイナンスに取り組むTalaのCEO)という2人の華麗で美しい女性起業家にあこがれたから、というのが大きいのですけれど。こういった「個人の経験や感情は学術論文にはふさわしくない」そうなので、卒論には載せられませんが、ぜひ2人のTEDを聞いていただきたい。笑)

 

私は、金融には全く興味がありませんでした。就職活動でも全く視野に入れず、「人のお金を扱って面白いの」と思っていました。

そんな私が、今回、「学生からの卒業」という一大事に際して金融という分野を研究する事になり、深堀をする中で思った私なりのお金に関する考えを記しておきたいと思います。

「平成に生まれる」とは

私は、自分自身を(そんなカテゴリーがあるならば)典型的な平成生まれの1パターンだと思っています。

仲の良い恵まれた家庭に生まれて、物心ついた頃からお金に困った事がほとんどなくて(1人で海外にいた時にカードが使えなくなって現金生活となった時くらい)、おじいちゃんおばあちゃんは小さい頃から余るくらいお小遣いをくれて、ドラマで見るような不良やいじめなんて遠い世界の事で、友達もまた家が貧しくて苦労している子はあまりいなかったように思います。

多分わたしも含めて多くの人は、これから社会に出るけれど、普通に就職先を見つけて、将来食べていけないくらいお金に困る生活なんて想像できないと思います。

つまり、生まれた時から今日まで、高度経済成長やバブルのような高まりもなかったけれど、必要なものはすべて揃っていて、それこそ世界的に見れば相対的にすごく豊かな環境が生まれながらに与えられ、それが今後も続くような安心感の中ですくすくと育ってきました。そんな人々を、典型的な平成生まれの1パターンとカテゴライズするならば、私は間違いなくそこに入ると思います。

もちろん、両親の経済状況も、上で言う安心感の度合いも人によって違うでしょうけれど、少なくともこれは私の狭いコミュニティで話していた中で同意が取れた感覚でした。

「お金」に対する根底の感覚

その中で、私にとって「お金」とは何なのか、私なりの考えを共有したいと思います。

まず、根底にあるのは、お金そのものは価値ではない、という事。ステータスでもない。

お金をたくさん持つ事で幸せを感じるだろうか?お金持ちを、フェラーリを乗り回す人を「すごい」と思うだろうか?たまには憧れても、それ自体は目標にならない。数値として「1億円稼ぎたい!」といっても、実際に1億円が欲しいというより、目標や承認が欲しいのではないでしょうか。

増える事についても同様です。資本主義では、The more, the betterの世界なのですけれど、限界効用が逓減している(お腹がいっぱいになってきた)のか、お金が増える事そのものに価値を見出せなくなりつつあります。

※追記※

先日、ぼんやりとこういう話をしていたら、「価値主義」という概念をご紹介頂きました。この点について、私より何百倍も深くて面白い考察をしているのがこの記事なのでぜひ。

 

そして、一番協調したいのは、お金の価値は、ものすごく相対的だという事です。

これは、私が途上国で暮らして、いつも一番強く思う事です。

私は、この1年、数えたら累計5か月、つまり1年の40%を海外で過ごしていました。多少は先進国にもいましたが、多くは東南アジアをはじめとする途上国に身を置いていました。

そうすると何が起こるか。

食べ物も泊まる所もお買い物もとにかく安くて、同じ金額で日本では決してできない贅沢な生活を送れるのです。

ビーチが趣味の私は、島のリゾート生活が大好きで、これ以上ない幸せを感じる中で、いつも思っていました。「こんな学生が、こんな贅沢が出来るのはなぜだろう」と。(繰り返しますが、親には一銭ももらっていません。)

簡単な答えは「物価の差」なのですが、この物価の差は恐ろしい。

例えば、インドネシアのFintechで働く25歳の友達は、インドネシアで一番の大学を出て、同国最大の銀行から転職してきたのですが、転職後、少し給料が上がったといえ、月給7万円です。最優秀層の彼の賃金は私の家賃に満たないのです。
私が1日めいっぱい遊んで食べて泊まって、と使うお金が、ここにココナッツシェイクを持ってきてくれた彼の1か月分の家賃だったりするわけなのです。

つまり、何が言いたいかというと、「お金なんてこんなもの」という事です。日本で平均の給料でも、インドネシアに来たら富裕層かもしれないし、その逆もしかり。

グローバル化が完全に浸透しない限り、こうして現地経済は各々成り立っていて、それぞれの生活で幸せを追求したり自己実現に励んだり、私たちと同じようにやりたい事をそれなりにやっているのです。

だから、こうして途上国と先進国を行ったり来たりしている私には、お金そのものの価値は、本当に相対的だとしか思えなくて、純粋に富を築くことそのものの価値には懐疑的となるのです。

では、「お金」とは何か。この問いから導かれる方向性

お金そのものの価値はあまり追求する気になれないし、相対的なんだとすると、お金とは何だったのだろうか?

この問いをマクロに広げて考えると、社会としてお金をどう捉えるべきなのか?

「お金とは何か?」という問いに対しては、よく言われる通り、お金はツールだと思います。このツールを使って人を幸せにできるし、そうしたいし、そうすべきだと思います。

例えば、身近な人にプレゼントを買う事、祖父母を旅行に連れて行く事、後輩にご飯をご馳走する事。これは人を幸せにするお金だなと感じます。もちろん、上記の「人」には自分も含まれているから、自分に使っても良い。(私なんか自分に使ってばっかりだ。笑)

こういう風に、お金を人の幸せを生むツールとして使う、このような気持ちのあるお金は素敵だなと思います。

この事が、ポスト資本主義を迎えた今、社会として向かう方向も示唆していると思います。つまり、このような心のあるお金の流れをもっとビジネスとしてシステムに組み込めれば、社会は豊かになると思うのです。

「お金がお金を生む」世界は存在するし、途上国開発を勉強していると、実はその影響が顕著に見えて、差は拡大していく傾向にあります。今回の論文のテーマである「テクノロジーの途上国開発の影響」の研究でも、証明された結論として、テクノロジーの恩恵を最も受けるのはアッパーミドル、リーチするのはミドル層まで、という事でした。さらに、届いたとして、単なるクレジットアクセスの拡大で貧困層のケイパビリティは向上しないのです。

だから、私は、「幸せを運ぶお金の流れ」を作りたい。

お金を増やす時代が終わり始めた(飽和した)国があるとすると、考えるべきは、「お金を使ってどう人を幸せにするか」か、もしくは「足りない所にどう流すか」。

その1つが、本卒論の出発点であり、奇しくも結びの提案となった、日本から途上国のスモールビジネスへのお金の流れを作るビジネスです。融資審査テクノロジーを使いつつ、単なるお金の貸し借りを越えたビジネスに、夢が広がる思いです。

以上、テクノロジーの途上国開発への貢献のテーマの下、Fintechについて研究した結果考えた事です。

ポスト資本主義におけるお金のあり方、求められるビジネスを考える一助となれば幸いです。

 

およよよ、これ、もともと序論で書くべき「金融にフォーカスした理由」を書くために考えていた事ですが、「はじめに」ではなく「おわりに」に書いた方がよさそうかな。

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